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The Painted Fresco of Mandawa

If Navalgarh is Rajashthan’s open art gallery then Mandawa is the royal art exhibition. For one, budget travellers like me cannot afford to stay here and second the haveli’s here are more artistic and well maintained as compared to the other parts of Shekhawati. 495 more words

Travel

Urban Decay 

At some point during the night, my roommate starts suffering from food poisoning. I offer whatever pills I have but it’s not much. We’re traveling by bus this morning so there’s no time to rest and recover. 345 more words

India

マンダワ、写真と人との距離

  

マンダワ滞在二日目、ホテルから歩いたところにある屋台で生搾りジュースを買う。

サーモンピンクのパパイヤジュース。ホテルで飲みたくて「テイクアウェイ」と言ったらビニールに入れてくれた。インドの屋台は比較的どんなものも持ち帰りにしてもらえる。ちなみに、チャイも頼めばこうやってビニールに入れてくれます。

 

昼間に起きると近くのヒンドゥーの寺院から大音量で音楽とアナウンスがずっと流れていた。男の啓蒙するような声と音楽。突如更に近くのモスクから礼拝のお知らせ、アザーンが重なって響き渡る。わたしは驚いた。違う二つの宗教が混在している。自分たちの宗教に忙しいので人々は他人の宗教を気にしないという。それでもこの国では度々宗教間で対立が起こっているらしい。

宿から出ると従業員の少年がいてまた一緒に街を歩いた。

この町に来て、なんだか今までこの国の中でも随分緊張して過ごしていたのだとわかった。インドに来て一週間経過した、というのもあるが、ここに来て、インドの人たちを怯えることなくやっと現地の見知らぬ人にレンズを向けられるようになってきた。相手が気づいてしまう距離からでも。まあどうしたって、肌の色も、着ているものも違う外国人が二台もカメラを持って歩いている時点で気付かれないでいることなんて不可能なわけなのだけども。

人を撮ることは、わたしにとって常に困難で、無理難題で、自分の国でなんて、今まで生きてきた中で仕事以外で人を被写体にしたことなんてない。道を歩けば見知らぬ人でも気に入ればかたっぱしから撮って行くような写真家がいるけれど本当に羨ましい。コミュニケーションに消極的なわたしは、人と関わりながら創造をすることはずっとできないように思えて、いつだって自然や静物を被写体に選んできた。写真を撮るたびに常に他者の認知の下に「あなたの写真を撮る写真家の私」の存在をおかなければならないことは、わたしにとって、避けたいことであった。

写真機を人に向ける罪悪感とか煩わしさってなんなのだろう。

その人の姿、形を、写真に撮ることによって盗んでしまっているような気がして後ろめたい。

人の容姿とは、どんな時にでも最終的に残される所有物で、財産である。それをどんなに魅力的だからといって、わたしが一枚の写真として「所有する」ことはやはりやってはいけないような気がして。

この国に来て、このような緊張感なしに人を少し撮れる気もする。撮りたいような気がする。なにしろ人はとにかく寛容だ。多くの人々は写真を歓迎さえする。「ワンフォト」といって写真に撮るように頼んでくる子供は大勢いる。(とった写真を欲しがるわけでもなしに。)

それでも人とばっちり目線をあわせて、撮りたいとは全く思わないのだけど。

ここの街の子供達は撮ってくれとは言ってこなくて、でも外国人には興味しんしんで遠くからじっと見てたり小さい声で「アリバーレ」(ラジャスタンの方言で「こんにちは」)といってきたり、カメラを向けると恥ずかしそうにでもこっちを向いて微笑んでくれる。

床屋のおじさんは写真を撮っているのがわかると動きを止めてこちらに笑いかけてくれた。わたしは会釈するとおじさんも会釈して再びひげを剃りはじめた。

パンジャビドレスがかわいいなと思って少女たちを撮ろうと思ったら恥ずかしがって一斉に背中をむけられてしまった。

この街の人は写真を撮られるのが恥ずかしくて、カメラを向けるわたしも緊張していて、お互いに内気で恥ずかしがりやでちょうど良いね。

最終的に撮った写真よりも、撮る瞬間に交わした撮影のための小さいコミュニケーションがひとつひとつ新鮮で楽しい。これが結果がすべてはなく過程が大事ということか。

緩やかに目を合わせて、緩やかに言葉を交わして、光を眺めて、影を眺めて、目の前を通って行くものは本当に遅い。決して攻撃的に数撃つように撮らない、もともとがデジタルとは根本に質の違うものというのもあるし、カメラが全てマニュアル操作というのもあるけれど、なによりこの国の、街の、特有な時間の流れがそうさせる。急いで撮らなくても良い、撮る準備ができるまで、待っていてくれているような気さえする。

ゆっくり写真を撮りながらたまにスナックをつまんで街を一周して宿に戻る。

この日もバルコニーで夕日が地平線から消えていくまでじっと座って過ごしていた。

シェカワティ[Shekhawati]

マンダワ

ジュンジュヌに二日間宿泊した後は、マンダワに移動した。チャーターしている車で一時間もかからず移動。

マンダワは古い石造りの街並みがそっくり残されていて、そこにそっくりそのまま住民が住んでいる街です。おそらく100年前とそんなに変わってないのではないかと思うほど、時が止まっているかのようにこの街は近代化に無関心だ。このシェカワティ地方特有のフレスコ画が一面に壁に施されたハヴェリという建築と街並みは映画にも度々ロケ地に使われているようなのだ。

      

壁画の塗装は色褪せてところどころ剥がれ落ちている、良い風合いを出している。

静かな街。観光客は来るものの、ホテルは数件だけで気の利いたレストランもない。土産も売っていない。誰も話しかけてこない。デリーやバラナシでは100メートル歩けば10人の客引きが話しかけてくるのに大違いである。

運転手をしてくれたアブドラのおじさんは私たちをここに運転してきたあと、ホテルを見つけ決めるなりすぐに従業員に話しかけ菓子を配ったりしてあっというまに友達になっていた。インド人はだいたい友好的だ。誰にでも話しかける。

その従業員のうちの一人の十二、三歳の少年が街を案内してくれることになった。

少年はほころびたシャツとパンツにサンダル、でも汚れた人差し指には黄土色のストーンの指輪をしている。肌色や薄黄色の石の建物でかこまれた肌色の石畳の路地を歩いていく、ハヴェリに案内してくれた。ここの通りは映画の撮影に使われた、とヒンドゥー語で話し、アブドラが英語で通訳してくれる。少年は歩いている途中に黄色い花をみつけると素早く小走りで近寄って花を摘んで私にくれた。少しの汚れもない微笑み。この少年は私たちを案内して何も見返りを求めてこなかった。スナックを買っても欲しがらない。

 

平和な穏やかな街。牛が道端で反芻していて、犬は寝ていて、子供たちは路地で遊んでいて、男たちは働きながらも語らい合っていて、女たちは洗濯物や干し草を頭の上に担いで路地を歩いて、時間がゆったりと流れている。

常にせわしなく一分でさえおろそかにすると苛立っている東京でのあの感じがすっかりなくなり、浅かった呼吸がどんどんと深い呼吸になっていく。

周りの遅い流れに身を任せてみる。待たされても気にしない、言葉が通じなくても大丈夫、座って、チャイを飲んで、夕日を眺めてそれが消えていくまで暗くなるまでじっと見てみる。風が頭部を触っていくのを感じて、なにかわたし中の、頭の中の、こわばっていた筋肉がだらりだらりと弛緩していき、これがリラックスというものか、ああ。

シェカワティ[Shekhawati]